TAMISA

YOGA BODY ポーズ練習の起源

こんにちは、えりです。いつもお読み頂きありがとうございます。
6月になりましたね!梅雨の晴れ間が大好きです。私は、6月生まれだからでしょうか?この時期に特別な思い入れがあって、なんだかノスタルジックな今日この頃です。


みなさんは、いかがお過ごしですか? 最近のヨガの練習はどうですか?
私は、アーユルヴェーダのドーシャでいうと、ピッタ(火)の性質が強いので、体も熱くなってきって、燃えたぎっております。(うそです。)でも、汗をかきやすい体質なのは、本当で、最近の練習では、じんわり汗をかいておりますよ!Hello! June! 



今日は、ヨガの起源と歴史のおはなし。


そんな現代の私たちが、練習しているヨガには、5千年以上もの歴史があると言われています。ヨガは、受け継がれる伝統なのです。長い歴史の中で、どのように変化して、私たちのところまでヨガが届けられてきたのでしょうか?


ヨガのクラスの最後に、「ナマステ」と言います。私の先生にも、先生がいて、その先生にも先生がいて、その先生にも先生がいて、その先生にも先生がいて...........、ここまでヨガを届けてくれた数々の先生方へ向けて、敬意を払って、「ナマステ」と言います。


私がヨガを学んだ先生のうちのひとりに、Mark Singleton (マーク・シングルトン) というイギリス出身の先生がいます。私が、カナダのモントリオール、naadayoga にて修了した、ヨガティーチャートレーニングコースの、Yoga Philosophy: History and Culture (ヨガ哲学:歴史と文化) を担当された先生です。



マークは、英国ケンブリッジ大学の神学博士で、近代国際ヨガについての研究・執筆を行なっており、ヨガの練習者。サトヤナンダヨガ、アイアンガーヨガの認定講師。現在、アメリカのインド研究所の研究フェローとして、インドのジョドプルに滞在されています。


モントリオールへも、インドよりいらしていました。彼のヨガへの探究心と情熱に引っ張れる、素晴らしいトレーニング期間でした。このトレーニングを受講するにあたってに必読本が、マークの著書の "YOGA BODY" でした。専門書を英語で読むのは、とってもとっても苦労しました。


そんな、私にとって思い出の "YOGA BODY" 現在は、日本語訳版がありますのよ!ということで、少し紹介させて下さい。



世界に広がるハタ・ヨガ

今、世界に広がるハタ・ヨガが、これらのテキストに書かれたモデルからいかに離れているかは、なかなか興味深い。もっとも違うのは、健康・フィットネス・長生きのためのシステムといった観点から、アサナにもっとも重点が置かれておる点であり、ハタ・ヨガにとって重要であったシャトカルマ(6つの浄化)、ムードラ、あるいは(程度はもっと軽いが)プラーナーヤーマはほとんど取り上げられていないことである。一部のヨガ流派は、その一端を伝えているが、近代ヨガではアサナが主となっているため、副次的な要素となっている。

ハタ・ヨガの基礎になっていたタントラ的世界観も、近代ヨガではかなり小さな意味合いしか持っていない。


近代ヨガへの伝承という観点からすると、古典的なハタ・ヨガの身体観は、ナーディ、チャクラ、そしてそれらにクンダリーニに関する働きについての部分が多少取り入れられている程度に過ぎない。しかも、それらへの言及は、今日のヨガ実践者の間で読まれているファッショナブルなどでもみられたり、なにか深遠なものがあるようだという感覚には結びついているものの、ハタ・ヨガ的身体観の全体像やそれに関連する実践は最低限に抑えられており、実際にヨガを教える場でそれがとりざたされることはあまり多くない。むしろ、今日の平均的な英語圏ヨガ教室では、もっぱらアサナの練習という面に重点が置かれていて、ハタ・ヨガ的身体観は、ほとんど顧みられていないと考えてよいだろう。


ヨガ教師たちは、そのトレーニングの過程で一応、ナーディやチャクラについて学びはするものの、読むものといえば、近代的解説や翻訳を通じてのHYPであって、そうした知識が古典テキストに書かれているような実際のヨガ実践に結びついている例がほとんど見られないのが実情だ。


一方、ボンやヴァジラヤーナ仏教実践からきているチベット・ヨガが、欧米教えられるようになってきているが、こちらのほうが古典的ハタ・ヨガ的色彩を残しており、現在のアサナ中心の英語圏ヨガよりもよっぽどハタ・ヨガ的身体観の理解を実践に結びつけている。

こうしたチベット・ヨガは、国際的になったインドのハタ・ヨガが、どれだけ文脈から離れても成り立ちうるかを示しているといえよう。要するに、インドの伝統はポーズ中心の英語圏ヨガには、伝わっていないということが、ここで押さえておきたいポイントだ。

しかし、蓮華座(パドマサナ)や達人座(シッダーサナ)の二つは、ヨガの歴史の中で、実践的にも象徴的にも代表的なポーズで、これらだけは、少し別扱いではある。今日の広告でもこれらの足を組んだヨガポーズは、リラクゼーション、セルフ・コントロール、自己啓発、バランスのとれた生活スタイル、健康、フィットネス、都会的でかっこいい精神生活といったものの象徴となっているのである。


古典的ヨガの各流派では、主に輪廻から解脱を目的としており、アサナには副次的位置しか与えていなかった。「ヨーガ・スートラ」もウパニシャッドもアサナを強調してはいない。ナータやハタの伝統的テキストですら、扱われているアサナの種類は限られている。こうしたアサナは副次的であるというとらえ方は、明らかに今日のヨガとは異なっている。


果たして、今日世界的に流行しているアサナ中心の英語圏ヨガはハタ・ヨガの伝統の直径ではないことがわかった。だからといって、インドの伝統的なアサナの練習とはまったく無関係だというと言い過ぎになるが、要するに、アサナ中心への移行は、ヨガの歴史においては、かなりラディカルな転換・試みであったと言える。

これは、インドが近代と出会った結果生じた、新しい身体観のために起こったものだと言えるだろう。
この本が明らかにしたいのは、そのような近代的な身体技法としての新しいスタイルは、いったいどこから来たのかということである。


(YOGA BODY マーク・シングルトン著 より抜粋)




ヨガの歴史と起源について、勉強したい方、TAMISA三条スタジオにて、お手にとって頂けますよ!はっきり言って、専門書なので、簡単な内容ではありません。でも、ご興味がお有りの方には、とっても面白い真実が綴られた一冊となっております。

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