TAMISA

心のお掃除

こんにちは。ゆうこです。

今年の年末年始は、今まで生きてきた中で、一番クリスマス、お正月感のない年末年始でした。
というのも、先日、Eri先生のレポートにもありましたが、私も、昨年12/24から10日間のヴィパッサナー瞑想に参加してきました!

10日間、人と話さず、スマホや本などは見ることができず、書くこともできない。毎日10時間の瞑想で自分自身を見つめ続ける日々...。
思っている以上に、シンプルに座り続けるのが辛かったですが、得るものも大きく、参加して本当に良かったです。
少し、体験をシェアさせていただきますね。よろしければお付き合いください。

ヴィパッサナー瞑想は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いた瞑想法と言われていて、体の感覚を、繊細に、客観的に見つめていくという瞑想法です。
お釈迦様がインドで広められた瞑想法ですが、お釈迦様の死後、仏教が形を変えたりヒンドゥー教に飲み込まれていく中で、インドでは消滅してしまいました。
しかし、タイやミャンマーでは仏教の修行法の一つとして実践され続け、現在は世界中にセンターができ、たくさんの人がその恩恵を享受しています。

ヴィパッサナー瞑想では、まず集中力を鍛えるために、アーナーパーナという、鼻腔の近くで呼吸に注意を向け、その感覚をただ観察する瞑想を行います。数を数えたり、イメージすることは、そちらに意識が向いてしまうので禁止です。

やることはとてもシンプルなのですが、シンプルがゆえに、色んなところに考えが飛び、初めの数日は、瞑想をしてるのか妄想をしているのか分からない状態で、1分も呼吸に意識を集中し続けられません。
自分の頭の中が、いかにとりとめのない色んな思考で埋め尽くされているかを実感しました。

毎晩、講話があり、なぜ私たちが瞑想をするのか、瞑想中何が起きているのか、実践で起こったことを講話で確認するように進んでいきます。

講話の中で、印象的だったのは、私たちは皆、感情の種のようなもの、サンカーラというものが潜在意識の奥にあるそうです。
何か刺激が私たちの五感に触れた時、そのサンカーラが芽吹きます。それが成長し、喜びや苦しみなど様々な感情になり、行動になります。
その中で、お釈迦様は、五感に刺激が触れた時と感情が出てくる間に体の快、不快があることを発見されたそうです。
そして、その快は渇望という執着を生み、不快は嫌悪という執着を生み、どちらも苦しみの原因であるということなのです。
快も苦しみの原因なのかーと目から鱗でしたが、確かに私たちが当たり前になっているこの生活も、なくなってしまうと苦しみになる。ご飯を3食食べているけれど、2食になると食べれないと不快になる。
思い当たる節があり、結局外側から得られるものは、快であっても不快であっても、本当の喜びではないのかもしれない。本当の喜びは、それを削ぎ落としていったところにある内側にあるものなのかな、と思いました。

そして、この体に現れた快、不快の感覚を、そこに巻き込まれることなく客観的に観察することにより、変化して消えていく、すべては無常であるという真実を知ります。その時、感情の種、サンカーラが消えます。サンカーラが消えると執着の元が消え、苦しみが消えるということなのです。
逆に快、不快を感じた時に、火に油を注ぐように感情や思考、行動につなげると、逆にサンカーラを増やしてしまいます。

このお話を聞いた時、まるで心のお掃除だなーと思いました。
私たちは、お風呂に入って体をきれいにしたり、お部屋のお掃除をしたりはするけれど、心のお掃除のやり方は教えてもらったことがないですよね。

そして、ヨガにも通じるところがある気がします。
アーサナで体の感覚を感じ、シャバアーサナで内側の感覚を感じる。
普段、あまり意識することのない体の感覚を、まず感じるだけでも、心のお掃除が始まります。
ヨガをして、体だけでなく心もスッキリするのは、そういうメカニズムもあるのかな、と思いました。
ヨガでは、心地いいポーズや大変なポーズがありますが、どちらも客観的に観察し、変化を見つめていくように行うことが、ヨガの恩恵を受ける近道かもしれないですね!

10日間という日数を、自分のためだけに使えるように調整するのは大変かもしれません。
でも、一生活かせる、とても貴重な時間になると思います。

興味がある方は、ぜひ参加してみてくださいね^^


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