TAMISA

旅は肉体を通して哲学することである

こんにちは、マユコです。

インドに来て18日が経ちました。わたしのこれまでの旅の経験は、長くて2週間。

今回は、TAMISAはじめてのインドリトリート「The Door to INDIA」を含む3週間の旅です。

滞在している南インドのタミルナドゥ州は雨季ですが、夜の間に雨が降って朝にはあがっていたり、短時間スコールのように降ったりで、リトリート中もそれ以降もお天気に恵まれています。今日の気温は34度、日本の夏と同じくらいかな。

日常から離れているから見えてくることがあって、今はそのメッセージに耳を傾けているところです。そしてできるなら、なるべく高い視点から、なるべく本質的に受け取りたいと思っているようで、そのためには受け取るわたしの状態が整っていることが大切です。

わたしは子供の頃から、なぜだかインドに興味を持っていたのですが、みなさんは、「インドに呼ばれる」とう言葉を聞いたことがありますか?これは、作家の三島由紀夫さんがグラフィックデザイナーの横尾忠則さんへ言った「インドには行ける者と行けない者がいるけれど、君はそろそろインドに行けるんじゃないかな」という言葉がもとになっているそうです。

以下は横尾忠則さんの文章の引用です。

 

インドに行くことは、三島さんの言葉をもう少し類推すると、こちらが向かうのではなく、インドがこちらを迎えるような気がする。あなたは何回来なさい、あなたはもう来る必要がないですと言われているような気がする。インドはこちらを試しているように思う。

インドの旅は全て物珍しいものに出合って目や心の栄養になるのだが、それ以上に、自分の心の中を旅しているような気になる。

外界を眺める目で心の中を眺める。ここにいながら、こことは別の心の場所を旅しているような不思議なバイロケーション感に襲われる。

旅は肉体を通して哲学することである。卓上でいくら思考しても得るものは観念である。旅に出ることは自らの肉体が乗り物に変化することで、肉体の行きたい所へついて行けばいいのではないだろうか。

 

三島さんや横尾さんが旅していた60年ほど前のインドは、確かに行ける人、行けない人、という感覚がもっと色濃くあったのだと思いますが、いろいろなことが発展した今はなんでもスムーズ。

インドは決して入れる人、入れない人、といった選別はしていなくて、いつでも扉を開けてどうぞ、と言っているような気がしていました。「インドに呼ばれた」と感じたなら、それはじぶんの深いところから届いた招待状なのではないかな?と思っていました。

ですが、いま横尾さんの言葉を読んでみて、とっても共感するところもあります。

こちらが向かうのではなく、インドがこちらを迎えるような気がする。そして、自分の心の中を旅しているような気になる、というところにも。

子供の頃からなんとなく興味があるのですが、明確な理由が浮かばないので、それを知りたくて繰り返し訪れているのかな?と思っていましたが、今回の旅の途中に「もう理由はなくていいな!」と思いました。思考を使って理由を探す必要はなくて、迎えてもらっているからここにいる、そして、どんな意識でいるかによって体験することはどんどん変わっていくのだと思います。

インドと自分のつながりを知ることで、何か特別な価値がつくかのように感じていたのかもしれないけど、これはエゴだったのかな。

理由があるから特別素晴らしいのではなくて、もとから素晴らしい。そんなふうに感じています。

慣れない環境では、さまざまな感情が湧いてきます。自分に対しても外側の世界に対しても、好きとか好きじゃないとか、良いとか良くないとか、ついつい二極に振り分けてしまいそうになるのですが、その視点から少し距離をとる練習をしているような日々です。ヨガの教えにある言葉を、知識や観念だけでなく、身体とあらゆる感覚を通してすこしずつ体験しています。

京都に帰って、日常に戻ることも楽しみです。旅を通しての気づきをもとに日常をアップデートできたらいいな。リトリートの様子もまたお伝えできたらと思っています。ここに少し写真をシェアさせてみらいますね!

 

最初に訪れたヴィシュヌテンプル

今回の旅をたくさんサポートしてくれたAppuとYokoさん

マトリマンディル(瞑想ホール)での貴重な体験

突然始まるTakaちゃんの素振りにキョトンな女子

お食事は毎回ほんとうにおいしかったです

チーム「The Door to INDIA」ナマステ!ありがとう!

pagetop

Welcome to our studio新規メンバー募集中